大判例

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富山家庭裁判所 昭和44年(家)109号 審判

〔主文〕一、相手方は、申立人に対し、財産分与として、別紙目録記載の宅地および田を分与し、相手方において手続費用負担のうえこれが所有権移転登記手続をなせ。

二、審判費用は、これを二分し、その各一を申立人と相手方との各負担とする。

〔理由〕第一<証拠略>を総合すると

一 当事者双方の婚姻事情

申立人の舅であり、相手方の元の養父であつた申立外秋山順之助(明治二六年六月二五日生)は、農家の三男として生れ、居村に分家して、小作農を営んでいた者であるが、妻よしとの間に子がなかつたため、本家寅之助の二男元二を養子に迎え、次いて申立人を嫁として迎えて結婚させた。同申立人夫婦間に昭和一七年一〇月八日長男金治が生れた。

戦時中元二は応召し、申立人は順之助夫婦に協力し、三人で他人の委託田を含めて四町歩に近い田を耕作していたが、その苦労は並大抵なものではなかつた。殊に申立人光子の働きぶりは、男勝りで、なりふり構わずよく働き、舅順之助にとつては、めがねに叶つたよい嫁であつた。

ところが、元二は昭和二〇年六月五日比島で戦死し、戦後委託田を返還したが、なお二町六反歩位の田を自小作していたので、順之助夫婦は、年若い申立人を未亡人として一生を終えさせることを不憫に思い、かたがた農業労力を得たいとの考えから、戦死した元二の弟である相手方と結婚させたいと考えて、相手方を養子として迎えて入籍させたうえ、昭和二二年一二月申立人と相手方とを結婚させ同二三年五月二一日婚姻の届出をなした。時に申立人は二七歳、相手方は二五歳、元二の遺児金治は五歳であつた。

二 婚姻後の状況

相手方は、小学校卒業後、鉄道教習所に入り、国鉄○○線○○駅の駅員として勤めていたが、申立人と結婚後国鉄を退職して農業に従事し、かたわら自動車会社に働いたり、食料品や果物のブローカーをしていたが、農業の経験はなく、百姓は好きな方ではなかつた。そして米作だけでは収入もすくないから、多角経営でなければならぬとして、肉牛を飼つたり、養豚をしたりし、社交好きで人の世話をよくした。しかしこうした相手方の性格、態度、働きぶりは、朝早くから、晩遅くまで野良に出て、汗と泥にまみれて働き、投機的農業を危険視する順之助や申立人には、いかにも怠惰で余計な暇と金をついやす男にみえた。一方相手方は、申立人において秋山家に入家したのは自分の方が先だから、自分の方が偉いんだというような態度で、相手方を見下げる申立人の態度に好感をもつことができなかつた。しかし夫婦間に昭和二三年九月一三日に長男明が、同二六年四月四日に二男宏が出生し、婚姻後一〇数年の間は、多少のいざござはあつたが、破局にまで至ることはなかつた。

三 離婚に至るまでの事情

(イ) 相手方は、昭和三四年二月○○町町会議員選挙に立候補して落選し、同三八年二月再度立候補して当選した。町会議員選挙に立候補するについては、順之助や申立人は、そのような役職に就くと、社交も増え、外出する機会も多くなつて、それでなくとも百姓仕事にあまり精を出さない相手方が役職にことよせて、いよいよ仕事をしなくなり、辛い目にあうのは順之助や申立人であるとして、極力反対し、選挙運動に対しても冷やかな態度をとつていた。事実相手方が当選した後は、予想どおり外出の機会が多くなり、そのため両者の間は自然冷めたくなつていつた。

(ロ)、昭和三八年一月順之助が、亡養子元二、先代信助の年忌法要を営むに際し、仏壇を購入したことで、相手方はそのようなものに金を費やすのは、ぜいたくだと云つて反対し、口論の末順之助を殴打するに至つた。

(ハ)、相手方は、そのころから、○○町出身で当時富山市内の飲食店街で飲屋を経営していた申立外原田ともえ方に出入りするようになつて、同女と情交関係を結ぶに至つた。そして相手方は、これまで住居の近くに豚舎を建てて養養豚をしていたのであるが、昭和三八年ごろから、同豚舎の入口附近の一室を改造して一室を作り殆んど自宅に戻らないで、この豚舎に起居し、上記原田ともえ方を訪ねて行つて、同女との関係を続けていた。

(ニ)、そこで申立人および順之助は、昭和三九年一二月相手方を相手取つて、富山家庭裁判所に、家庭環境調整の調停を申立て、相手方所有名義の農地等の分与ならびに借財の決済を求め、前後一〇回余の調停の末、昭和四一年二月一応当事者間で話合うことにするとして取下げたが、両者間の紛争は解決するに至らなかつた。そこで、昭和四二年一〇月二日申立人および順之助夫婦が原告となり、相手方を被告として、富山地方裁判所に離婚ならびに離縁の訴訟を提起し、同四三年二月二三日裁判所の勧告により協議離婚ならびに協議離縁することの裁判上の和解が成立するに至つた。そして同月二九日協議離婚ならびに協議離縁の届出を了した。なお上記裁判上の和解の際、申立人と相手方間の長男明の親権者を相手方、二男宏の親権者を申立人と定めた。

(ホ)、相手方は、上記の協議離婚前の申立人と別居していた昭和四一年三月ころ、情交関係にあつた原田ともえの経営する飲食店の経営がおもわしくないため、これを閉店して、同女を上記豚舎の一部を改造してこしらえた住居に引き入れて、同棲生活をはじめ、同女に養豚を手伝わせて、自らは○○会社の運転手として働き生活を営んでいた。

(ヘ)、申立人は、相手方が家を出た後も、順之助夫婦や先夫の子、相手方との間に生れた子二人とともに生活を続け、一家の中心となつて、先夫の子金治らと力を合せて農業に励んでいた。

四 財産分与の対象となる財産およびその現況について

(イ)、相手方名義の別紙目録記載の宅地一筆および申立人が現在耕作している田二二筆と、相手方が申立人が耕作していた田のうちから取上げて行つた次の(ロ)記載の田九筆が財産分与の対象となる財産である。

なお、申立人は相手方と別居した後に、申立人の所得から買求めた申立人名義の田二筆六畝一五歩を所有するが、これは夫婦の共有財産とはなし難いので、本件財産分与において対象に入れないこととする。

(ロ)、相手方は上記原田ともえと同棲生活を始めた昭和四一年に申立人方に来て、田圃がないと生活ができないから、こことここを耕作させろといつて、申立人が耕作していた田のうちから、次の九筆を取上げて行つて、自動車運転手のかたわら余暇にこれを耕作していた。もつとも申立人から取上げて行つた九筆のうち、四一二番の田を○○開発に、五五九番の田を○○某に、それぞれ売却処分し、また三八二番の田は、申立外秋山守幸と同面積の田と交換して、現在七筆の田を耕作している。

○○町田島

一 二八〇番 田 四九二平方米

二 二八一番 田 四七九 〃

三 三八二番 田 九八五 〃

四 四一二番 田 二二三 〃

五 四五九番 田 九九一 〃

六 五五九番 田 五三五 〃

七 五八〇番 田 三八〇 〃

八 五八五番 田 三九三 〃

○○町宮ケ島

九  二五番 田 八三三 〃

の九筆

(ハ)、上記の宅地上には、順之助所有の木造瓦葺平家および物置が建在し、順之助および申立人らが生活を営んでいる。

(ニ)、上記の耕作田のうち、申立人が現在耕作している四八七番、相手方が現在耕作している二八〇番、二八一番、相手方が他に売却した四一二番の四筆以外の田は、いずれも順之助が小作田として耕作していた田で、申立人が順之助に協力して耕作していた結果戦後自作農創設特別措置法一六条の規定により、また宅地は同法二九条の規定により附帯施設として取得することができ得たものである。

また上記四筆の田は、戦後順之助が金を出して購入したものである。

(ホ)、上記の宅地、田が相手方名義で登記されるに至つたいきさつは、上記の四筆を除く以外のものは、すべて戦後の農地開放の際、小作農であつた順之助が国から譲渡を受けることになつていたのであるが、相手方は当時既に秋山家の養子となつて農業に従事し、居村○○部落の農地改革促進委員をしていた関係上、いずれは順之助死亡の際には、農業承継者となるのは、自分であるとの考えから、この際自己名義で国から譲渡を受けておくに如くはないと考え、買受名義人を順之助としないで、自己名義で自作農創設特別措置法に基づいて取得登記をなしたものである。

当時この事実を順之助においても、また申立人においても知つていたが、今日の事態に立至ることを考えていなかつたため、別段異議を申し述べなかつた。

また上記の四筆の田は、戦後順之助が申立人の協力による農業所得のうちから、先夫の子金治名義にして、同人に残してやる考えで昭和三三年と同三六年の二度に購入代金を相手方に渡して、買入ならびにこれが登記手続を頼んだところ、相手方は金治名義としないで自己名義に登記手続をなしたものである。

以上のように、相手方名義となつている田の大部分は、戦前から順之助が小作し、申立人が戦中戦後順之助に協力して耕作維持につとめた結果、農地開放の際取得することができたものであり、また上記の四筆の田についても、戦後申立人の協力による農業所得のうちから購入したものである。ことがそれぞれ認められる。

第二 結論

以上の如く、当事者間において、既に財産分与が事実上行われているものとみられ、この現実に即して、その取得分を定めることが、最も適切妥当なものと考えられる。

そうすると、申立人において取得することとなる物件は、宅地一筆、田二二筆であり、一方相手方の手許に残る田は、九筆ということになり、如何にも均衡を失するやにもみられるが、本件の財産を取得するについての申立人の寄与率は、相手方の寄与率より遙かに大であること、殊に申立人が昭和三六年畦畔ブロックに構造替えをした際の経費として、○○金融公庫より借受けた金二八万九、四二〇円の分割弁済についても現在も引続いてなしていること、協議離婚の際長男明の親権者を相手方と定めたが、長男明において、相手方の許に行こうとしないため、申立人らと生活を共にしており、将来も同人の面倒をみてゆく考えにおり、将来先夫との間の子や相手方との間の子二人に対し、公平に財産分けをしてやりたい気持ちを多分に有していること、舅順之助においても、苦労した申立人に対して、なるべく多くの財産分与を望んでいること、また両者の生活の現状においても、相手方は、現在の妻ともえに養豚の手伝をさせて、自らは自動車の運転手として、○○会社に勤め、その傍ら耕作面積が申立人より少ないとはいえ、耕作して生活が安定していること、一方申立人は農業だけに頼つて、一家を支えている専業農家で、他に収入はなく、現在耕作している耕作田を取上げられることになれば、たちまち生活の不安をきたすおそれがあること、一方本件の離婚原因は、相手方の不貞行為によるものであるから、有責配偶者に対する財産分与制度の制裁的機能をも合せ考え、その他の一切の事情を考慮すれば、相手方は申立人に対し、財産分与として、別紙目録記載の宅地、田を分与し、相手方において手続費用負担のうえ、その所有権の移転登記手続をすることが相当と認められる。

よつて、主文のとおり審判する。

(神野栄一)

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